浄土宗和常山無極寺
浄土宗
無極寺(むごくじ)
和常山
受楽院
〒390-1242
長野県松本市和田1743
中興開山 放蓮社來譽上人
開山上人は不明
1470年中興開山
開山年は不明
室町の初期と寺伝にあり
知恩院(京都市東山)
阿弥陀如来
法然上人
無極寺の変革
文明元年 開山
本堂建立
観音堂・豊川稲荷社建立
昭和9年 観音堂・豊川稲荷社建立
平成3年 鐘楼堂建立
平成19年 客殿改築
無極寺の歴史
無極寺の正式な寺院名は「和常山(わじょうざん)受楽院(じゅらくいん)無極寺(むごくじ)」となります。
この寺院名は、「常に和すれば、楽しみを受けること、極め無し」という言葉から付けられております。しかし言いにくいためなのか近隣の方々には「ももくじ」の愛称で慕われております。
開山は1469年(文明元年)と寺伝にあります。しかし何度も火事にみまわれ焼失しており真偽の程は定かではありません。
ある言い伝えによると4つの寺(今井地区にあった寺・神林地区にあった寺・島立地区にあった寺・現在の地和田にあった寺)が合併して現在の無極寺になっているという話もあります。
江戸時代にはかなりの寺領を有しておったようで田舎本山とも言われていたようです。寺院の格式も檀林に準ずる「准檀林」の称号をいただいていました。
現在の住職は三十四世。現在の本堂は第二十三世住職の代1830年代に完成。松本市の重要文化財に指定されております。御本尊は阿弥陀如来。浄土宗の寺院であります。
現在の客殿は平成19年に竣工いたしました。境内には、本堂(1830年代)・客殿(平成19年改築)・山門(平成16年修繕)・観音堂・豊川稲荷社(昭和9年築)・鐘楼堂(平成3年新築)があります。


松本市指定重要文化財
無極寺本堂
元禄9年(1696年)の無極寺開山記に浄土宗和常山無極寺は数度の火災により代々不明とありますがこの頃は境内700余坪、本堂四間半四面の寺でした。
寛政8年(1796年)、本堂の破損が激しくなり再建がはかられました。
寛政11年10月、檀徒の念願一決、諏訪大工立川和四郎富棟に、本堂再建工事請負を依頼しました。富棟は直ちに、「入母屋作りの本堂木取帳・同造作本取覚帳」などの設計図を示して普請計画を練りました。翌12年、棟梁富棟は脇棟梁長男富昌と一門を率いて、槌音高く立川流の普請を始めました。当時、富棟は56歳、立川流と立川和四郎の名は諸国に知られていました。しかし、間もなく「最早造作のみに相成りましたが、不作の年続き、檀徒差支え候」。寺の借金も溜り、大工の支払いも滞り、普請は相成り難くなってしまいました。棟上げはできましたが、内部の工事は止み、まして宮彫りなどの鑿も錆び、富棟の代には普請の竣工に至りませんでした。
多年月を経て、ようやく規模八間四面の本堂に唐様向拝付、入母屋造、瓦葺の建築が完了しました。その外観はもとより、内部も浄土宗の寺らしく、内陣は極楽浄土を荘厳し、外陣は安らかにお念仏を唱える御堂となっています。
立川流の技法・彫刻は随所にみられ、江戸時代の貴重な建築が残っています。

無極寺の永代供養
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