浄土宗和常山無極寺
和常山無極寺
浄土宗
〒390-1242
長野県松本市和田1743
年
知恩院(京都市東山)
阿弥陀如来
無極寺の歴史
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無極寺の歴史
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは*、かつ消えかつ結びて*、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし。
たましきの都のうちに*、棟を並べ、甍を争へる*、高き卑しき人のすまひは、世々を経て尽きせぬ物なれど、是をまことかと尋 ぬれば、昔しありし家はまれなり。或は去年焼けて今年作れり。或は大家滅びて小家となる。住む人も是に同じ。所もかはらず、人も多かれど、古見し人は二三十人が中に、わづかに 一人二人なり。朝に死に、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
不知*、生れ死ぬる人、 いづかたより来りて、いづかたへか去る。又不知、仮の宿り*、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主とすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず*。或は露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。


松本市指定重要文化財
無極寺本堂
元禄9年(1696年)の無極寺開山記に浄土宗和常山無極寺は数度の火災により代々不明とありますがこの頃は境内700余坪、本堂四間半四面の寺でした。
寛政8年(1796年)、本堂の破損が激しくなり再建がはかられました。
寛政11年10月、檀徒の念願一決、諏訪大工立川和四郎富棟に、本堂再建工事請負を依頼しました。富棟は直ちに、「入母屋(いりもや)作りの本堂木取帳・同造作(ぞうさく)本取覚帳」などの設計図を示して普請(ふしん)計画を練りました。翌12年、棟梁富棟は脇棟梁長男富昌と一門を率いて、槌音高く立川流の普請を始めました。当時、富棟は56歳、立川流と立川和四郎の名は諸国に知られていました。しかし、間もなく「最早造作のみに相成りましたが、不作の年続き、檀徒差支え候」。寺の借金も溜り、大工の支払いも滞り、普請は相成り難くなってしまいました。棟上げはできましたが、内部の工事は止み、まして宮彫りなどの鑿(のみ)も錆び、富棟の代には普請の竣工に至りませんでした。
多年月を経て、ようやく規模八間四面の本堂に唐様向拝(こうはい)付、入母屋造、瓦葺の建築が完了しました。その外観はもとより、内部も浄土宗の寺らしく、内陣は極楽浄土を荘厳(しょうごん)し、外陣は安らかにお念仏を唱える御堂となっています。
立川流の技法・彫刻は随所にみられ、江戸時代の貴重な建築が残っています。

無極寺の永代供養
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